回り道という贈り物
僕が高校の教員をしていてよかったと思うのは、職場に「個人では所有できない冊数の膨大な本があること」です。学校には必ず図書室がありますから。
この本も勤め先の図書室の本棚で見つけました。
宮崎駿監督のアニメ『魔女の宅急便』は、知らない人がいないぐらい有名な作品です。主人公・キキは13歳のとき、魔女の決まりに従って、1人で旅立っていきます。そして、人々との出会いを通して成長していきました。
最近は原作者の角野栄子先生のことをテレビで見かけることが多いですね。「こういうふうに年を取っていけたらいいなあ」と思える、あこがれの作家さんです。
本書『ファンタジーが生まれるとき』は、角野先生の自伝的な作品。
角野先生は大学生のころ、著名な翻訳家であった竜口直太郎先生のゼミにいたそうです。ある日、なにかの会話の続きに、竜口先生から「きみは翻訳はやめて、書きなさい」と言われたそうです。その時、角野先生は、自分には翻訳の才能がないということを言われてしまったんだ、というふうに思い、がっかりしました。
そして角野先生は、物書きを始めることなく大学を卒業し、就職をして、結婚。非常に珍しいことに、ブラジルへ移民として行くことになりました。
喜望峰周りの三つの大洋、太平洋・インド洋・大西洋をわたる船旅と、2年間のブラジルでの暮らし、その後のヨーロッパ、カナダ、アメリカとほぼ世界を1周するような旅を経験しています。
その後、日本に戻った角野先生でしたが、34歳のとき、竜口先生から1本の電話がかかってきたのです。
「近々開催される大阪の万博にむけて、世界の子どもをテーマにノンフィクションの本を企画している児童書の出版社があるのだけど、君はブラジル暮らしの経験があるから書いてみないか」と。
その時まで、「自分で何かを書く」という選択肢を思ってもみなかった角野先生は、ぽかーんとしてしまったそうです。そして、竜口先生が本気で「書きなさい」と言ってくださっていたことに気が付いたのだと言います。
この時の電話から、角野先生の最初の本『ルイジンニョ少年ーブラジルをたずねてー』が生まれました。
大学時代に、先生の言葉を素直に受け取って、すぐさま物書きを目指していたら、角野先生の文筆生活は効率の良いものになっていたでしょう。
でも、その場合には海外生活はなかったかもしれません。すると、名作『魔女の宅急便』が生まれたかどうか。作中でのキキの旅立ちには、角野先生がブラジルへ行くときの気持ちが色濃く反映されているのです。
大学の先生は出版業界に顔が効く方が多く、有名な翻訳家の竜口先生に才能を見出されていたのなら、本人がその気になれば作家デビューは早かったでしょう。
でも、角野先生は地球の反対側に行ってしまった。
すぐにデビューした場合と比べると、ずいぶん遠回りをしたかに見えますが、後から考えると、ぜひとも経験しておきたい「ありがたい回り道」だったわけですね。
僕らも、「作家になりたいのに、なれない。どうして、こんなつまらない日々が続くんだろう」と思うことがあったとしても、「それが、デビュー後の作品に生きてくる貴重な経験かもしれない」という気持ちだけは、どこかに持っておいたほうがよいのではないかと感じます。
他にも、この本には『魔女の宅急便』の裏話が明かされています。
『魔女の宅急便』は、角野先生のお嬢さんが描いた1枚の絵(1人の魔女がほうきにまたがって飛んでいて、ほうきの柄にはラジオがさがっている)から着想を得たこと。「かわいいなかにも魔女っぽさがあって、小さな読者にも友達のように呼んでもらえる」主人公の名前を探して、「ミミ」「ナナ」「ココ」などと考えていき、やっと「キキ」にたどりついたことなどが書かれています。ちなみに、猫の「ジジ」は、すんなり決まったのだとか。